Soliloquy税理士のひとりごと

ロスアンジェルス、ラスベガス、サンタモニカへ飛行

2011.09.26

ロスから内陸に向かって500キロ位入りました。途中ヴィクタービルという空港に寄りました。この空港は飛行機の墓場と言われており、大型の飛行機がここまで飛来した後、部品取りの後解体され廃棄されます。またボーイング787の試験飛行空港でもあり、その期待もありましたが、残念ながら見られませんでした。

その後はデスバレーに行きました。白く見えるのは塩です。海抜がマイナス210フィートです。面白いことに、210フィート以下で飛行中の時には、高度計がマイナス表示になります。空港には小型のジェット機も来ていて、超低空飛行するなど、スリルと景色を楽しんでいました。

その後ラスベガスに行きました。滑走路が4本ある超多忙な空港ですが、アメリカは小型機を着陸させます。友人が着陸をし、翌日私が離陸しました。デスバレーからのラスベガス空域侵入時から、砂漠の中にあるラスベガスがよく見えています。 

翌日はラスベガスから南に行き、ミード湖とフーバダムを見ました。ルーズベルト大統領がニューディール政策のもと、財政主導型の公共工事で不況を脱出したことで有名になった、大型工事で典型的なダムです。上から見るとそうでもないようですが、下から見ると巨大なダムです。ここの発電した電力がラスベガスに送られ、砂漠の中の巨大な不夜城を輝かせています。ラスベガスの水源にもなっています。

その後グランドキャニオンウエスト空港に着陸しました。ここまで飛行機で運転して来た日本人は多くはないと自負しながらの着陸でした。グランドキャニオンの上空は規制があって飛べませんでしたが、教官のかつての同僚がそこでヘリコプターのパイロットをしており、ただで乗せてくれたので、キャニオンの底まで行ってきました。 

その後は一路、ロングビーチ空港まで帰ってきました。

翌日はサンタモニカに行きました。ロス空港の北5キロくらいの所にある都会の真ん中の空港です。小型ジェットがまるで、バスを駐車するかのように駐機してあり、次々に離着陸していきます。その間にもプロペラ機が離着陸します。おおよそ3分ごとの間隔です。空港にあるレストランで昼食を食べ、サンタモニカの海岸の上空を低空(1000フィート)で飛び、マリブという高級住宅地の上を旋回して、ロス空港の真上を滑走路に直角に飛び、ロングビーチ空港に帰りました。

以上が概略です。多くの飛行機が離着陸して、複葉機やゼロ戦やムスタングまで、修理し複製して自由に飛び回り、かつ事故も???な状況が見て頂けますでしょうか?大きな産業を日本は自らが、「危ない」先入観で放棄しています。その張本人はマスコミと国土交通省航空局だと、私は思い残念であります。

その中で日本の本田航空(ホンダの子会社)だけが、アメリカでエンジンと機体が、両方日本製というジェット機を開発しています。エンジンと機体が同一メーカーという機体はホンダジェットだけということで、全てホンダの技術ということです。本田宗一郎と言う人物は、バイクを作っていた頃から飛行機の製造が夢だったそうで、日本国の援助も無く、20年の歳月をかけ、純粋に国産の技術で双発の小型ジェット機を開発し、アメリカでFAAの製造許可を得たとのですから驚きです。

その努力に日本人が背を向けているようで残念でなりません。その張本人は「怖い、危ない」を扇動するマスコミと国土交通省航空局であり、その迷信を信じる日本人自身だと私は思います。私は何度かの飛行経験を通して、強く感じたのですが、その迷信を一部でも払しょくしていただければ、有り難いと思います。

平成23年2月8日 木村 

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